2024年04月26日   

すぶられることはある

と、枝葉から書いた。
総合的に見ると、名作と言われるだけあって、映画学校のテキスト、お手本として学ぶには必須だろう。
映画の歴史、背景、文化など、一番はじめに習う事のようなかんじ。
娯楽作品としてはよく出来ていた。
観客は、スクリーンに吸い込まれていくかのごとく、ストーリー展開に全身で没頭する。
ジェットコースターに乗って時には水しぶきも浴びて楽しむかのごとく、わたしには、現実を離れた100%虚偽、作り物、創作、フィクションに感じた。
つまり、そりゃないやろ、と、感情移入は出来ない。
しかたない、わたしが生まれる前の映画だ。
とは言え、時代をはるか遡る歴史ものでも普遍のテーマがあったりして、時を超えて魂を揺すぶられることはある。

魂以前の問題で、わたしの経験値が低すぎて、想像力が働かない。
ヒロインは自立して一人でも生きて行けるのだが、ダメ男との腐れ縁をずるずる続ける。
ダメ男は、ヒロインをはじめ、ダメ男の妻や母、他の女性やその夫など、全員を不幸にする。
心臓を切りつけられるようなキツイことをヒロインに言われても平気。
頭が悪いのか?
農林省のお役人の役柄にしては、どんな頭脳、神経をしているのか。
太宰治似の、めちゃくちゃオトコ前。
だれが見ても嘘で、嘘!と言われてののしられても、平気で嘘を言う。
わしゃ知らん、と、嘘をつく。
優しい嘘か。
そんな嘘なら、「復讐するは我あり」の緒方拳扮する詐欺師のほうが、まだマシ。
(悪人ランクとしては、犯罪者のほうが断然酷く強烈だが)

と、なんであんなに賢い女性が、あんなダメ男に翻弄されるのか。
そこが解せないところが、フィクションならでは。
林芙美子原作。
多分、原作以上に、よく演技されていると思う。(原作は、読んでいないが)

宇宙から宇宙人が攻めてくるぐらい、わたしには感情移入できなかったが、映画としては面白く、楽しめた。
江戸時代の人が、浄瑠璃や歌舞伎、能楽に魅入ったように、話のストーリーとは関係ない次元で、芸能、娯楽を堪能するのかと想像した。
あるいは、ホラー映画や、歴史もの、犯罪ものなど、自分とは関係ないところから鑑賞するには、テクニック的に観客を唸らせる。

しかし、あんなに、嘘とわかっていても、目の前でイケメンダメ男に、優しくされると、参ってしまうのだろうか、、、??
宇宙人は、想像以上にミラクル、パワフルなのだろうか。

わたしは、自分が幸せになる道しか選ばないので、能動的にダメ男を選ぶ女性の心境が理解できない。
が、きっと宇宙にはいろんな生き物がいるのだろう。

しっとりした感想を書けなくて、申し訳ない思い。
だって、わたしは女たらしダメ男、キライなので、どんなに擁護されても、拒絶反応、アレルギーを示す。
インスパイアされ、映画とは別の私情が爆発してしまった。
キライキライと書いていると、どんどん熱くなってくる。
(太宰治、大好きなんだけど)

映画の素晴らしさを書こうと思ったのに、ダメ男への嫌悪感が倍増し、書いているうちに敵意が剥き出しになってしまった。
それと、令和の今の時代ではあり得ない、セクハラの嵐。
あり得ないほどセクハラは不愉快この上ない。

ラストは病死で悲劇が締められるが、ハッピーな明るい家庭だったとして、最後に病死だったとしたら、どんなかんじなのかと想像した。
幸福な人生も不幸な人生も、残される側にとっては最後は同じなのかと。
見る側のシュミレーション。

それだけ感情が昂るのは、影響力のある映画だということだ。
「女が階段を昇る時」や妻シリーズも、レンタルして観ようかと思うぐらいだから。
たぶん、決めつけられた理想の女性観に、また頭から湯気がもあもあと立ち上がることだろう。
それはそれで、結構なことだ。
無関心よりは。

だが、コメントまでいただき期待されていることだと思うが、熱烈映画ファンの方には、無神経、無理解のこの記事をお読みになった、残念さ、無念さを想像すると、こころが痛い。


Posted by aghrtj at 10:02 Comments( 0 )

2024年03月20日   

受け身なら抵抗はないと

毎日、薄い水の中で静かに暮らしているのが、今のわたしの幸せ。
また変わるかも知れないが。
欲求がどんどん薄く軽くなってきている。
ひょっとして、もうすぐ、、、魂がなくなるのかなあ抖音電商???
それはそれで、負の感情や考えもなくなる。
プラスとマイナスの振れ幅が小さくなる。
不純物がなくなり浄化されるということか。
いや、不純物こそ生きるには欠かせない要素だ。
美しく清められなくてもよい。
菌に強くなければ生きていけない。
雑菌はそこらじゅうにウヨウヨ。
純正栽培は生命力が弱い。

ちみに。
どなたかが、昔の蝶ブログ記事を引っ張り出して読んでおられる。
その中で、「宗教①」というものがあり、興味深く読んだ。
(自分が書いているのに内容を忘れている、、、)
信心していないのにお経を読めと姑に言われ、思いっきり減らず口をきき、反抗した話相機鏡頭
「家の宗教を内容もわからず頭から信じるのはおかしい。
わかっているなら、内容について詳しく正しく説明してください」と、姑Aに食ってかかるわたしに、Aは、
「先代の姑たちは、立派だった。
こんな未熟な何も知らないわたし(Aのこと)に、怒りもせず優しく包み込んでくれた」と答えた。
当時の若いわたしは、当時のAとオーバーラップするのだろう。 
皆んな来た道、歩む道。
だがしかし、明らかにわたしの質問に答えず話しをはぐらかして、話の内容を変えている。
わたしは、「説明してください」と言っているのに、説明せずに、わたしを未熟だと非難して従わせようとしている。
一時的には人情的にうまく丸め込まれたような気になったが、話の論点は明らかにズレている。
ごまかされている。
そうやって、ごまかし、ごまかし、疑問はクリアに解明されず、今日までどうにか引き継ぎ持っているのだろう。(Aは故人だが)
お坊さんのように何時間も正しく説明されたら、かえってわたしが困ってしまうところだった。
面白くなくて居眠りしてしまうだろう。

人を自分の思い通りに動かそうとするのは難しい。
駆け引きや策略が必要だ。
信じていない宗教のお経を読むことに関しては、自分が能動的に読むのではなく、その道のプロ(お坊さんや神主さん)が読むのを聞く、受け身なら抵抗はないと感じる。
日本には地鎮祭やお葬式、七五三など、強い信者ではなくてもお経や祝詞を聞いている。
初詣やお寺詣りも、抵抗ないイベントとなっている。
あまり深く考えていない、慣わしのようなものか。
へんに抵抗して流れを止めて摩擦を生じさせ、前に進む邪魔をしないようにしたほうが、よいのか。
信心というよりは、おみくじやジンクスみたいなものか。
そのあたりを姑Aは、わたしが納得できるように説明してほしかった電動牙刷推薦
教義が大事なのではなく、誰もわかってないけれど手を合わせているんですよ、と認めてくれたら、また違った展開になっていたかも知れない。

わたしは、わからないこと、理解できないことに対して、無条件に、何でもいいからツベコベ言わずに頭を下げるんだ、と強制されても不満しかなかった。
自分なりの解釈、納得が必要だった。
古今東西、宗教はとてもデリケートな問題だ。


Posted by aghrtj at 09:39 Comments( 0 )

2024年01月22日   

からこっそりリクエス

やっと食べる気力が湧いてきた。
食欲というものは要。
わたしにとっては、健康のバロメーターだ激光脫毛副作用
いつもは何も感じないのだが。
食欲不振で、生協の宅配も今月は一度も発注していない。(無配達でも毎回、宅配料は取られる)
食べ物のことを考えるのも嫌だった。
やっとどうにか、何か口に入れてもいいという気力が戻ってきた。

気づけば師走も、半ば。
師ではないないにしても、走る気力もなく、半ばになってしまった。
ホーム・クリスマス会を目前に控える。

ジイサンタさんには次々と発注が届いている。
バアサンタさんは、小銭なんだそうだ。
上から3番目孫には貯金箱がパパママサンタさんからのプレゼント(内定)だそうで、貯金箱に入れるコインをママ(わたしの長女)からこっそりリクエストされたthermage 效果
「1円にしよう!」とわたしが言ったら、「ダメ!」と、3番目孫にダメ出しされた。
「消費税の関係から1円玉も貴重なんよ」とわたしはぼそっと言ってみたが、1円にする気はない。
ママからは、「300円ぐらい」と打診されている。
100円玉、集めなければ。
300円✖️51500円
100円玉を取り敢えず15個、今週中に用意。
シニア枠バス代が100円なので、100円玉はわたしには必須アイテムだ。

ちなみに。
やっと年内にすべきこと、気になっていたことがクリア出来、ほっとしている。
というか、ぼんやりしている。
というか、ヒマにしている。
気が抜けている。
だが、年末大掃除とかは、全く念頭にない。
年末年始は、夫の実家に行く。
行く年、来る年は、いつも必ず夫の実家。
今回は息子が久しぶりに帰ってくる。
と言っても元旦の夜帰ってきて翌る日、昼には戻る、1泊2日の弾丸帰省。
彼は姑よりうるさい、食事・家事評論家であるが、まあよい。
welcomeである。
長女一家と合同になるので、短い時間だが賑やかにはなる。

わたしは夫の実家が大嫌いだったくせに、今では全然嫌いではない。
大規模リフォームして、気持ち良い快適な家に生まれ変わり、皆んなが集まりやすくなって喜んでいるMedilase


Posted by aghrtj at 09:07 Comments( 0 )

2023年12月15日   

を持たない大きな理由とな

もしも子供がいたら?という、ブログ村エッセイの注目記事を読んだ。
書き手は80歳代の男性。

奥さんが子供が欲しくないというので、子供を産まなかったそうだ。
夕食を作りたくないというなら、抜きでいいよ、というノリ。
で、子供がいなかった人生を振り返ってみると、風邪を引いたら鼻水が出た、という感じの結果だったとのこと牙齒美白
子供を持つには職業選択基準が変わり、育てるためのお金を生み出すことを第一に考えざるを得ない。 
そうすると、(稼いでくれる妻)髪結の夫だったら経済的心配はしなくてもよかったわけだが、(子供を育てるには経済力が十分とは言えない、大黒柱にはなり得ない)今の妻と結婚したことが子供を持たない大きな理由となる。
じつにわかりやすい。
そのブロガーさんは、子供の養育のために好きな仕事を選べない、奥さんは子供が欲しくない。
夫婦で意見や考え、方向性が同じなら悲劇は起こらない。
一方が子供が欲しく、もう一方が欲しくない、とか、
二人とも熱望しているのに出来ないとか、
苦悩の種はあちこちにある。

姑はわたしの兄夫婦に子供がいないことを、なぜ生まないんだろう?と、再三再四、わたしに言っていた去眼紋
あんなに賢い姑なのに、なぜそんなことがわからないのか不思議だった。
医学知識ゼロ。デリカシー、ゼロ。
本人に直接聞かないだけでもマシだが。

子供は出来たか?と毎月、結婚した翌月からまだかまだかと矢の催促に、さすがにタフで無神経なわたしでも、うんざりした。
昔の人、戦中派は、頭の中身、脳内部が違う。
無知は人を傷つける。
本人はそのことに気がついていない。
自分が無知であることも、それで人を傷つけていることも。
わたしが、教えてあげたらよかったのだが、わたしは自分の脳を素通りさせてしまった。
素通りさせなければ神経が持たないことは、ほかにもたくさんあったmyob 課程
だが、世代ギャップ、ボタンの掛け違いだろう。
どちらが悪いというものではない。
善人同士。


Posted by aghrtj at 10:14 Comments( 0 )

2023年10月13日   

前向きに毎日を過ごして

取り柄がない。
何をしても中途半端。
胸を張って成し遂げたと言えることは何もない。
自分なりに頑張ったとしても、目を見張る成果はない酒店式公寓
だが、強いて言えば、幸せだということ。
しょげることも、拗ねることも、ひね曲がることもなく、わりと明るく前向きに毎日を過ごしている。
不幸ではなければ、幸せなのだ。

長女が孫の進路について、一言、ぽろっと言った。
自分の道が自分で気に入るような、そんな道に進んで欲しい、と。
深い、、、。
わたしは早々に大枠を作り、保険をかけてミニ盆栽にしたかも證婚場地
だが、成人後は、各自のコース。

未来ある子供たちはさておき、
さて、わたし。
能力が劣っていても、別に構わない。
今更、何をする?
別に何をするわけでもない。
人によっては生き甲斐がなく、つまらないと思うだろう。
わたしはへんに使命感を持たされると、どっと疲れる。
何もしなくても、本人が良いなら、本人があえてその道を選んでいるなら、それでよし。
過去の思い出と、未来につながる毎日があれば、それでよい。 
つつがなく。何も起こらない幸せ。
わたしにとっては、それが幸せなのだ。
人が退屈するような状態が、わたしの幸せ。
この予定のない自由時間こそ、黄金の時間。
細いピアノ線のような、目には見えないけれど、しっかりした線、それが通っていると自分が感じられたら、それでいい。
他人にわかってもらわなくてもよい。
自分なりに内面にはスタンスがある。

幼い頃のわたし。
お花畑に一人座らせていると大人しくニコニコしていた、という(母から聞いた)エピソードが大好きだ点阵激光
わたし自身は記憶にないのだが。
だけど、精神状態がそんなかんじ。
いつも安定して和んでいる。
とは言え、ブチキレて、ちゃぶ台返しもする。(今月の話)
しかし最近のちゃぶ台は、大きくて重い。
せいぜい、角度や向きをよっこらしょと変える程度。

さてさて裕さん。
磯がCのが目に浮かぶ。
自動車一台分の出費だそうだけど、間違いなく良い時間になると確信している。
次に帰国される頃は、晩年?
いや、もう少し前?
その頃には、日本のまだ未知の地をぜひゆっくり回っていただきたい。


Posted by aghrtj at 10:07 Comments( 0 )

2023年09月04日   

自分のことのような

昨日、21時から、テレビ番組、NHKスペシャル、「ボクの自学ノート〜7年間の小さな大冒険」を見た。
とても感動した。
隅から隅まで、端から端まで、わたしは大絶賛、大共鳴Medilase脫毛
とても共感を覚えた。
今は高校生になった梅田明日佳君が、まるでわたし自身、自分のことのような、そんな錯覚を覚えた。
どっかりと感情移入した。
きっと、沢山の人が同じような感想を抱いたと思う。(彼と似たような性質、傾向の人は)
明日佳君は、小学校3年から始めた自習ノートを先生に読んでもらっていた。
小学校を卒業すると、自習ノートの課題は終了したが、引き続き自習ノートを書き続け、読んでくれる人々を探して、直接、手渡した。
読んだ人達は、絶賛していた。
だが、明日佳君に手紙を渡されたうちの一人の女性が放送内で言っていた脫毛學生
もし自分の子供なら、、、手放しでは喜べない、と。

作文、絵画、自主研究、、、いろいろ自分の興味あることを自習ノートを通して世の中と繋がっている明日佳君。
あんな逸材なのに、学校では、変わり者扱いだそうだ。
アインシュタインと同じだ。
好きなものにのめり込むのはよいが、時間は無尽蔵ではない。
時間をかけすぎず、効率を考えよう、でないと社会では適応できないよ、と学校から指導を受けている。
やるべきことをほったらかして、好きなことに打ち込んではならない、と。
まあそれも一理ある。
学校は社会の常識も、とりあえず教える。

明日佳君は、公立高校の受験に失敗した。
好きなことに打ち込むあまり、学校の勉強が疎かになったのだろう。
よくあることだ。
個性を大事にすると、全体的にどれもまんべんなく出来る、ではなくなる。
凸凹が出来る。
スペシャリストか、ゼネラリストか。
明日佳君も、理系か文系か、自分の進む道に迷いがあるようだ。

アインシュタインの素晴らしい点は、ものすごく難しいことを、誰にもわかるように伝えられることだそうだ。
明日佳君は、口べたではあるが、文字や行動で、伝える力が強力、押しが強い。
だから、文系、理系と決め込まなくてもよい、と明日佳君を知る人がアドバイスしていた激光脫面毛

目がキラキラして、好奇心の塊の明日佳君。
わたしは、彼の、自分が考えていることを人にわかるように説明する能力、文章力に、脱帽した。
頭の中でこんがらがって、ぐちゃぐちゃになるのではなく、整理されている。
彼はアナログ少年で、タイポグラファーのように、きっちりした美しい、わかりやすい、鉛筆習字のお手本のような文字を書く。
筆圧も、しっかり。
さらさらと、くるくると軽く適当に鉛筆を回して、流しているのではない。
一文字、一文字、力を込めて、こころを込めて書いている。

だが、友達と遊んだり、周りには目を向けず、ひたすら自分が興味のあることだけを掘り下げる。
なので、同級生たちや学校では、コミュニケーション能力がないとみなされる。
このあたり、わたしと似ている。
だが、わたしは、若くなく、将来性もなく、才能もないので、自分が面白いと思うことだけに関心があり、コミュニケーション能力がない部分だけが、明日佳君との共通点だ。
肝心カナメの、キラキラ能力はない。
でも、なんだか、(能力の有無や、ポテンシャルの違いはあるが)自分を見ているようで、とても面白かった。


Posted by aghrtj at 15:51 Comments( 0 )

2023年06月21日   

地が低くなっている場所

今日は何度もスマホから大音量のアラームが鳴った。
その度に、飛び上がらんばかりに、びっくり。
初代スマホもまだ生きているため、時間差で初代スマホも大音量でアラーム心臟檢查
豪雨による避難勧告のお知らせ。
うろうろ、落ち着きをなくす。
明日には落ち着くらしいが、まだ近隣地域のアラームは、夕方になっても続く。

庭が田植え状態になっている。
ところどころに伸びた草は、稲の苗のよう。
水はけ、大丈夫?
このまま、雨量が増して雨水がどんどん上がると、どうなる?
不安を抱えてガラス越しに外を見る。
こんな大雨にも関わらず、玄関先に出しておいたゴミペールからゴミは収集されていた乳房超聲波
自治体の市民サービスの徹底した仕事に、脱帽、感謝した。

アラームが示す、近くの避難場所は、各小学校。
隣の地区も一時は避難勧告がなされていたが、解除された模様。
避難勧告がある地域は、近くに川が流れているエリアだったり、土地が低くなっている場所。
大雨の度にヒヤヒヤすることだろう。
電車も運休になり、本日のスケジュールは中止、取りやめとなった。

避難に備えて、避難用の服を選んだ。
体育館などで避難する場合、少しでも過ごしやすい服が良いだろう、などとあれこれチョイスしていた。
ホームウエアのまま、飛び出す程の時間切迫ではなかった。
避難用衣類も決め(というより、こういう時は服ではなく持ち出し品が大事でしょう?と、自分でツッコミ)、そうこうしているうちに、眠くなった。
いつもこう。眠くなる。
わたしのアタマはどうなっている?

眠気に加え、恐怖を紛らわせる、ふて寝、お昼寝の後、スマホ、電源オン。
そこで、上岡龍太郎、訃報、が目に飛び込む。
大好きだった。
享年81歳。
売れっ子だったが、潔く2000年、58歳で引退。
引退後もゴルフやマラソンで健康的な身体、ぴーんと背筋の伸びた姿勢、立派なふくらはぎを彼の友人(一般人?)のブログから拝見することがあった。
流暢なキレのある日本語が口からシャキシャキ出て来る、知的でクールでハンサムな人牙醫價錢
ウィキペディアで調べてみると、知的な血は、彼の父方から流れていたようだ。
道理で、、、と、納得した。


Posted by aghrtj at 10:24 Comments( 0 )

2023年05月20日   

心の玉手箱となってい

別SNSで思いを吐いたら、ああスッキリ。
蝶ブログは孤独との闘いだから、モチベーションがかなり必要だ。
でも、細くても長い長い間に培われた絆があると信じている。
ふと、あんなこと、こんなこと、海を渡って親子リレーの品を手渡されたり、時の経過も含めて、いろんなことを思い出すこともあり、やはり一生ものの心の玉手箱となっている牛奶敏感

ちなみに、前回の自己肯定感の強いシニア女性。
地元ではパソコンのお師匠さんで(本人曰く)、地域の人にも教えていたんだそうだ。
わたしのような、ちんぷんかんぷん人間と同じように考えてはいけない、、、にしても、
スマホアプリだのは、日々、変化しているので、アプリ提供サイドの事情もあったりして、利用者サイドだけの技量ではどうにもならないことがある。
そのあたり、まだ見ぬ敵にさえ簡単に軽く打ち勝つ自信は、どこから湧き出て来るのか。
巨大なるクレーマーになったりしてMedilase脫毛
そっち(アプリ提供者)が、悪い!と。

現にスマホ買い替えの時に、担当の若いお兄さんがアタマが悪くて時間を取られてとても困った、とそのシニア女性は言い放っている。
ご自分は完璧の姿勢は絶対に崩さない。

ある別の人。
スマホ店の担当者に、説明の矛盾点を確認したら「あ、この話し、(あなたには)難しかったですかね〜」と言われて、めちゃくちゃ怒っていたそうだ。
わたしも、スマホ買い替えの時の担当の若いお姉さんに、著しく侮蔑され、イラつかれ、屈辱気分をたっぷり味わい、トラウマになった経験あり。
後で娘婿に愚痴ると、「担当者も経験不足、知識不足だと思います」と慰めてくれた。
なんと優しい、よくデキたお婿さん。

それにしても、老人イジメではなかろうかと、悔し涙を流している人もいる傍らで、やりもしないで声高らかに、「アナログの不便さが大好き」だと言う、この方のこの性格。
今後のこともあるし、ご家族の皆さん、さぞや大変だろうhairless 脫毛好唔好

が、自分の身を守るのは自分。
これぐらいパワフルでなければ、今後の高齢化社会、やっていけないのかも知れない。


Posted by aghrtj at 16:37 Comments( 0 )

2023年04月13日   

くそが悪くなるのは何故

ちなみに話はごろっと変わるが、
夫は時代劇が大好きである。
江戸モノ大衆時代劇。
これは、夫の父も、夫の祖父も大好きだった。
若い時からいつもいつも、水戸黄門サン酒店式住宅
じいさんたちも。

わたしは、水戸黄門アレルギーである。
平和な勧善懲悪の、安心して観れるストーリーはまあよいとして。
途中でトイレに立って筋書きを見逃しても、なんの問題もない。
結末は全く同じ。

わたしは好きではないが、過激な暴力的なものよりはマシか。
とは言うものの、長年に渡り、同じ空間を共有する中のテレビで流れ続けられていると胸くそが悪くなるのは何故か?
知らぬ間にヒ素が効いてくるように。
悪玉が絶対権力にひれ伏すパターンに、ファンは狂喜するのだろうけれど。
胸がスカッとしてストレス解消される人がいる一方で、わたしは吐き気を覚えることもある企業禮品
やめてくれ〜〜、と。

特に女性をモノのように扱う女性蔑視、軽視の部分に差し掛かると、わたしは居ても立ってもいられないほど不快になる。
過去の歴史では、男女差関係なく奴隷の時代や封建制度の時代があったのだから、目を覆いたくても史実は史実として対峙しなければならない。
各国が過去の過ちを忘れてはいけないように。

それはそれとして、、、
対峙とかではななく、楽しんで、酒の肴にして観ているのが堪らなく嫌。
今の女性は偉くなってしまったので
(特に妻!)、せめてテレビドラマの向こうで夢を満たしたい気持ちはよくわかる。
だが、女性としては面白いわけがない。

そこで、回避策。
テレビ番組を別々に観るため、部屋を別々にしている。
これは、家庭内分断である。
平和維持のためには、いたしかたない処置か。

あれは嫌、これも嫌、じゃあ結局はなんのために一緒に生活しているの天幕 帳篷
どんなに愛するどこの誰と一緒に暮らしても、自分を一番愛している限り、忍耐は必要だ。
割り切り。
相手も同じように折半。
五分五分で、調整。
これを協力と言う???
うーん、協調かなと。

話は逸れに逸れている。
ホンネばかり書き連ねても、わたしばかりがモヤモヤが吹っ飛ぶだけで、なんの建設的なこともない。
が、たまには、溜まっている埃や膿を吐き出す、こころのお掃除が必要だ。
それが、人によっては水戸黄門鑑賞だったとしたら、うーん、、、話がまたまた、ぐるぐる。
循環システム。
社会は循環システムで成り立っているから、社会の一番小さなコミュニティである家庭も、基本は循環システムなのかなあと。

よくわからないが、ブログに貼り付けた写真のオジいさんに斬ってもらおう。


Posted by aghrtj at 11:01 Comments( 0 )

2023年03月06日   

感に苛まれても不思議ではない

この頃、思うのだが、心身共に健康に産み育ててくれた両親に感謝している。
唐突な話ではあるが。
あまり悲観的でもない、楽天的な性格と、病気知らずの健康な身体、これは生まれつきのようだ。

子供時代は学校でイジメに遭っていた兄、姉の下で、ちゃっかり目立たない方法を自然に身に付けたように思う。
学年が上がるにつれ、成績面では、優秀だった兄、姉を先生が引き合いに出し、「それに比べてキミは、、、」と説教の種にされ、劣等感に苛まれても不思議ではない状況だったにもかかわらず、全然といってよいほど、めげていなかった加拿大 ee
たぶん、当時、家庭が大嫌いだったので、外の生活が少々悲惨でも、家のことと比べると、マシだったからかも知れない。
というか、子供の頃から先生など信じていなかった。

何かにつけ、結構、激しい家庭だったように思う。
わたしの価値観は、「悩み事や嫌な事があったとしても『人の生き死に』にまでは及ばない」というものだった。
子供の時からそう思っていた。
死ぬほど辛い、というのは精神的な比喩表現で、どんなに辛くても、実際に死んでしまうことはない、と加拿大移民
生きるか死ぬか、そういうギリギリの線まで来ていない、切迫していない、と感じていた。
友人が、「ママに叱られた?」とヒステリックに泣き叫ぶ姿を見て、何が悲しいのか、まったく、さっぱり、まるでわからなかった。
蚊に刺される程度なんじゃない?と。
まだ社会に出ていない子供であるわたしにとっては、家庭でのたいした虐待もなかったし、死に至るほどのことは実感出来なかった。

が、今の世の中の子供達を取り巻く環境や意識とは隔世の感がある。
わたしは時代背景も今とは違うし、苦労知らずなのかも知れないが、それなりに気苦労はあった。
生きるか死ぬかが判断基準の子供って、ある意味、度胸が据わっている。
というよりも、もっと、ちゃんちゃん敏速に機敏に動くべきだろう、子供は子供らしく。

話はコロッと変わるが、、、
昭和39年?40年に「小説現代」に連載され、今から半世紀も前に刊行された小説を今、読んでいる。
黒岩重吾。(1924?2003)
主人公や登場人物に対する感情移入がまるで出来ない。
当たり前だ。
環境が違いすぎる。
時代が違いすぎる。
感覚が違いすぎる。
性別の違いによる感じ方のギャップ。
読者ターゲットの違い。

女性の考え方は、ああいうものではないと思う。
至極当然だ。
そんなにも昔の男性の書いた小説だから。
第一、わたしの父親世代。そう年齢は変わらない。
戦争出征経験者。
高度成長期の落とし子世代のわたしと感覚が違わないほうがおかしい。

いくつかの短編が収められている文庫本であるが、同じパターン表現が数カ所出て来て、プロの小説家といっても、表現の多用を避けるのは無理なのか、それとも、そういう表現が好きなのか。
わたしが書き手で仮にプロなら、繰り返し同じ表現を使うのは、ちょっと恥ずかしい。
避けたい。
あまり気にしない人や、そういうパターンが好きな人は、そうこだわらないのだろうが、わたしは神経に引っかかる。
うるさい読者だ。

が、1か月に700違い本数のものを書いていた時代のようなので、いちいち覚えていないのではなかろうか。
50年も経って、チマチマ重箱の隅を突くのも、作家と言えどロボットじゃあないのだから。

というか、明らかに読む小説を選び間違えている。
NHK朝の連続ドラマ「おちょやん」の主人公が生きていた時代や地域を舞台に書かれた小説が昨年、書店に平積みにされていたのを手にした。
時代は昭和に移り、特定の地域をクローズアップして書かれた小説も同じコーナーに並べられ、その小説を黒岩重吾氏が書いていた。
黒く暗く重い、、、。
ずしっ。


Posted by aghrtj at 10:49 Comments( 0 )